こんにちは。さくら書道教室です☺️
前回、埃をかぶった教材を前に立ち止まっていた森中先生。
今回のVOL.9では、そこからついに「外」へ踏み出す姿をお届けします。
幼い子ども二人を連れてのヤクルト配達、子どもの入院と重なってしまった大学の試験。
それでも諦めきれず、ついに出会ったのは、かな書道の大家・田中江舟先生でした。
赤ちゃんをおんぶしながら通った稽古場で、先生が掴みかけたものとは――。
どうぞ読んでみてください🌸
第9章 最初の一歩はヤクルト配達
̶̶ 第8章では、埃をかぶった教材を前に立ち止まっていた森中先生ですが、ついに
「外」へ踏み出します。それも、かなりハードな働き方を選ばれましたね。
森中先生: ええ、そうなんです。若い夫婦なので当時は家計に余裕がなかったけれど、「衣食住にはこだわらないけど、自由に動ける車だけは欲しい!」と強く主張しました。
自分の足を持つために選んだのが、運搬の仕事。
その車を動かすためのガソリン代を稼ごうと思いました。
̶̶ ヤクルトで働かれたと聞いていますが。
森中先生: ええ、私は駅の売店やレストランにある大きな冷蔵庫に、ヤクルトを運び入れる仕事をしていました。
でも、土日や夏休みなんかで保育園がお休みのときは、幼い子供二人を連れて仕事をするしかない。
当時、⻑女が 5歳、次女が 4 歳だったかしら。
̶̶ 仕事場に子供たちを連れて行っていたのですね。具体的にどうやって作業をされ
ていたのですか?
森中先生: 姉の方には「駅の中は危ないからお母さんの服の端をしっかり握ってね」、妹の方には「お姉ちゃんの手をしっかり握ってね」と言い聞かせてね。
私が荷物を積んだキャスター(台車)をガラガラ押して駅構内を動くと、子供たちもその後ろをちょこちょこと、必死についてくる。
カルガモの親子みたいにね(笑)。
冷蔵庫に品物を入れている間も、私の周りでおとなしく遊んでいた。
今思えば、駅の中なんて危ない場所だったけれど、当時はそうするしかなかった。
第 10 章 教員免許を取りたい〜江舟先生との出会い〜
̶̶ ヤクルトの運搬の仕事をしながら、教員への夢も忘れていなかった。その頃、ヤクルトのパートをしながら、下関市立大学で聴講生となって教職単位を取得にリベンジしようとされたのですね。
森中先生: そうです。
ようやく「教員免許」というゴールが見え始めた矢先、次女が「耳瘻孔(じろうこう)」という珍しい病気になってしまって……。
急遽、門司の大きな病院に入院して手術をすることになりました。
̶̶ 大事な試験の時期と、お子さんの入院が重なってしまった。
森中先生: そう、最悪のタイミング。
でも、5 歳の子どもを病室に一人放っておくわけにはいかないでしょう。
暇を持て余した次女は、隣のベッドのおばちゃんに「今何時?お母さんまだかな?」と 5 分起きに話しかけて煙たがられている。
私は授業と家事をこなして、下関から門司まで毎日必死で通いました。
付き添い用のベッドなんてないから、夜は簡易的なベンチを借りて。
でも、それじゃあ寒くてたまらない。
̶̶ 寒い夜を、どうやって凌(しの)がれたのですか?
森中先生: 新聞紙です。
新聞紙を体の下に敷いて、上からも被って。
ガサガサという音を聞きながら、病室の片隅で丸まっていたわ。
体はボロボロ、心は焦りと不安でいっぱい。
そんな状態で、まともに机に向かって勉強なんてできるはずがないわよね。
̶̶ そして迎えた市立大の試験の日。結果は……。
森中先生: 担当の先生に呼び出されてね。
はっきり言われました。
「あなた、全然勉強していませんね。不合格です」って。
̶̶ その時の、森中先生の心境は。
森中先生: 目の前が真っ暗になったわ。
子供に不安な思いをさせまいと、新聞紙にくるまって夜を明かして……。
それでも「教師になりたい」という夢だけは手放さずにいたのに。
その全てを「不勉強」の一言で切り捨てられたような気がして。
帰り道、子供を抱っこしたまま、涙がでました。
̶̶ 「もう、無理かもしれない」と、諦めそうにはなりませんでしたか?
森中先生: 一瞬は思ったわ。
でもね、泣きながら思ったの。
「なんで、みんなが当たり前に取れる免許が、私にはこんなに遠いの?」って。
悔しくて、情けなくて……。
でも、その「悔しさ」が、私の心の奥底にあった火種に、一気に油を注いだのね。
̶̶ 絶望が、執念に変わった瞬間ですね。
森中先生: そう。「取れないと言われるなら、余計に欲しくなる」のが私の性分なのよ(笑)。
あの不合格の宣告と、新聞紙のガサガサという冷たい感触。
あれがなかったら、その後の私は、どこかで諦めていたかもしれない。
あの夜の冷たさが、私の決意を本物にしてくれたと思っています。
̶̶ 大学で教員免許を取る努力をしながら、書道の方も模索していたと聞いています。
最終的に出会ったのが、かな書道の大家・田中江舟先生でしたね。
森中先生: 「通信じゃダメだ、本物の先生に習わないと」って。
でも、行ってみたらそこもまた「茨の道」でした。
6 か月になる三女を連れて通ったのです。
教室の近くにある駐車場に車を止めて、そこから赤ちゃんをおんぶして、家で仕上げた書道の作品を抱えて、⻑い階段をえっちらおっちら登ってようやく教室に辿り着く。
̶̶ 山登りみたいですね(笑)。教室では、赤ちゃんはどうされていたのですか?
森中先生: 江舟先生はもとより、江舟先生の奥様が本当に情のある方で。
「背中の赤ちゃんが気の毒だから、私が預かってあげる。その間にあなたは指導を受けなさい」と言ってくださって。
奥様が三女のおしめを替えてくれたり、あやしてくれたりしている……ほんの 10 分か 15 分の江舟先生の添削が、私の唯一の学習時間でした。
̶̶ 大家である先生の奥様に赤ちゃんのおしめを替えてもらいながら、その横で指導を受ける。
当時は子連れの生徒さんというのは珍しい光景だったでしょうね。
森中先生: 他の生徒さんは教室でじっくり練習しているけれど、私にはそんな時間はない。
先生の鮮やかな筆さばきを、瞬きもせずに目に焼き付けて、自分の作品を添削してもらう。
ただそれだけ。
でもね、あのおんぶ紐の重みを感じながら、必死に墨の匂いを吸い込んだあの数分間が、私を一番成⻑させてくれた気がするわ。
̶̶ 家事や仕事をしながら捻出した貴重な時間。短いけれども必死に作り出した時間
だからこそ集中力が違ったのですね。
森中先生: そうね。あの時の私はとても充実していました。駐車場へ戻る階段を下り
るとき、背中の子供の重みを感じながら「いつかきっとこの苦労が報われ
るはず」って、思っていました。
🌸終わりに
「取れないと言われるなら、余計に欲しくなる」不合格の悔しさが、先生の中の火種に油を注ぎました。
そして出会った江舟先生のもとで、おんぶ紐の重みを感じながら必死に墨の匂いを吸い込んだ数分間。
短くとも、何よりも濃い学びの時間だったのかもしれません。
この続きは次回、ついに掴む「免許」の物語としてお届けします。
📘次回予告
10年越しの春は、もうすぐそこに。
森中先生がついに手にしたものとは――。
どうぞお楽しみに🌸