
こんにちは。さくら書道教室です☺️
創刊号では、森中先生が幼い頃に書と出会った“はじめの一歩”をお届けしました。
VOL.2となる今回は、その続きとなる2つの章をまとめてお送りします。
・第2章:中学校時代、書道とスポーツの両立
・第3章:家庭環境と母の教育観
中学生としての挑戦と迷い、
スポーツとの両立の中で育まれた力強いエネルギー、
そして先生の価値観の根を作ったご家庭の空気──。
今回の2章は、森中先生という“人”を知るうえで
とても大切なエピソードが詰まっています。
今、教室で子どもたちを見守っている先生の言葉や姿勢が
どこから生まれているのか。
その背景を、ぜひゆっくりと感じながら読んでいただけたらうれしいです🌸
第2章:中学校時代、書道とスポーツの両立
―― 中学校では、また書道を始められたんですか?
「ええ。その当時は中学校では、部活動に入るのが当たり前だった。私は書道部と、ソフトボール部、両方に入ったの。」
―― 両立するのは大変だったのでは?
「大変だった。でも楽しかった。夏休みは2つの部活の合宿の時期が重なってしまって。午前はソフト部の合宿に顔出して、午後からは書道の合宿に行くとか忙しかったわ」
―― まさに文武両道ですね。書道部ではどんな活動を?
「中学校の代表で大会に出ました。熊本市で『席書会』っていう大会が開催されて、学校から二人代表が選ばれて参加したのを覚えているわ。『席書会』というのは作品を出すのではなくて、会場に行って審査員の目の前で実際に筆を取ってその場で書を書いて優劣を競う大会だったの。」
―― 小学校のときは嫌だった書道も、少し離れていたおかげで、楽しいと思えるようになったのですね。ソフトボール部では?
「ピッチャー、4番、キャプテンだった。中3のときは中体連での優勝は逃したけど、最高殊勲選手賞をもらったの。」
―― すごい活躍ですね。
「いやあ、やるからには全力で。どっちも楽しかった。」
―― なぜ両方に力を入れられたと思いますか?
「“がんばる”って、やってみたら案外おもしろいのよ。どっちも本気だったから、自分でも驚くくらい続けられた。眼の前にあることに100%全力を出して取り組む、そういう姿勢ができた中学時代だった。」
第3章:家庭環境と母の教育観
―― 森中先生が育った家庭について教えてください。
「母はとても教育熱心な人で、それと同時に大変な働き者でした。当時私たちが住んでいた家は郵政省の官舎で、庭が広かったのを利用して鶏舎を自作して鶏を育て、畑を作って野菜を育てたりと、くるくると朝から晩までずっと働いていました。」
―― お兄さんやお姉さんは?
「兄や姉は本当に優秀でしたね。母は自分に学がないから、勉強を教えてはあげられないけれど勉強をする環境は整えられると、いろんな気遣いをしてくれました。母はよく『私は勉強しろとは一度も言ったことがない。でも、勉強に最適な環境を整えれば、子どもは自然に勉強するようになる』と話していました。」
―― 具体的には、どんな環境を?
「暑さ、寒さをいろんな知恵でしのいだり、蚊やハエがいたら畳をあげて家中に薬をまいて駆除したり、不快にならないようにして少しでも子どもが勉強に集中できる環境を作っていました。当時には珍しい子ども専用の学習机も用意してくれて、わざわざ大工さんを呼んで作ってもらっていました。」
―― まさに“教育ママ”ですね。
「そう、今思えば本当の意味で教育熱心な母だったと思います。勉強嫌いの私にとっては厳しい環境でもありましたけど(笑)。
私は小学校4年生のときに、学校を追い出されたことがあるんです。
ある日、教室でテストが返却されて、私は受け取ってちらっと点数を見てすぐにその場でぐちゃぐちゃっと丸めて自分の引き出しの中に突っ込んだの。それを先生に目撃されて。先生が、あなた引き出し開けてみなさいっていうから開けたら、ぐるぐるに丸めたテストが山ほど出てきて。あなたみたいな人はもう学校に来なくていいから帰りなさいと言われて、私のカバンを掴んで教室の窓から運動場にぽーんと投げたのよ。投げられた衝撃でカバンの蓋が空いて中身がバラバラと出て散らばったのをよく覚えています。
―― それでどうしたのですか。
私も強いから、帰れと言われたら帰るわ、ほな、さいならって家に帰ったわ。
家に帰ると母から、「なんで帰ってきたんかね?」と聞かれて、「なんかわからんばってん帰って来たと。」って。
母はその後学校にあやまりに行ったそうです。先生にちゃんと謝ってから、
「先生、うちの子は勉強もできんし、迷惑ばっかかけてるけど、学校にこんでよかっていうのだけは言わんでください」って頼んだみたいです。
次の日は給食のある日で、給食を楽しみに怒られたことも忘れてけろっとして学校に行ったら、男の子が後ろから「学校から追い出されたやつがまた学校に来とる。帰れ〜!帰れ〜!」囃し立てて。
私がぱっと後ろを振り返って、運動場の石をさっと掴んでにらみつけたら、その子達は蜘蛛の子を散らすように逃げていったわ笑。私のやんちゃぶりがわかるでしょう。
―― お父様はどんな方だったのですか?
「父は郵政省の国家公務員で、鉄道で郵便の仕訳作業などをしていたようです。不規則な生活で家を開けることも多かった。でも家にいるときは、ずっと机に向かって本を読んだり、お手本を見ながら文字の練習をしているんです。郵便局員だけあって、封書の宛名をどんな書体でも解読できるようにしておく必要があったようです。教えてくれる先生がいるなら習いに行くといいのだけど、私みたいに不規則な生活だと習いに行くのが難しくて、というようなことを言っていました。
私はちょうどその頃、小学校5、6年生で、書道を辞めていた時期でした。でも、いつも食卓で文字の練習をしている父の姿を見ているうちに自分もやりたくなって、「私も練習したい」と言ったらすぐに道具を用意してやらせてくれました。
父の没後、兄が父の遺品整理をしていたら「ペン習字書道教範」という本が出てきて今も父の形見として残していると言っていました。
父は死後「勲八等瑞宝章」(国家に対し積年の功労ある者に授与される勲章の一つ)を受勲しました。郵便局員として真面目に働いた証だと思います。」
森中先生の価値観の土台には、こうした家庭での“静かな教育”がしっかりと根を下ろしていたのです。
🌸終わりに
第2章・第3章では、森中先生が中学生として書に再び向き合いながら、
その裏で育まれていた“家庭の力”にも触れるお話をお届けしました。
書道とソフトボールを全力でやり抜く姿勢。
母の静かで強い教育観。
厳しさの中にも温かさのある家庭の空気。
そして、お父様の背中が教えてくれた「学ぶ姿勢」。
これらすべてが糧となり、
今のさくら書道教室で大切にしている
“丁寧に向き合うこと”“あきらめず続けること”
という価値につながっているのだと感じられる回だったのではないでしょうか。
📘次回予告
「第4章:高校時代から大学進学まで」
書が、人生の道として形を帯びていく大切な時期をお届けします。
どうぞお楽しみに🌸