あけましておめでとうございます。
本年も、さくら書道教室をどうぞよろしくお願いいたします🌸

新しい年の始まりにお届けする
さくら通信 第3号では、
森中先生の人生の中でも、大きな決断と覚悟が重なった時期――
高校時代から大学進学前までのお話を掲載しています。

書道に打ち込みながらも、
自分の力不足を痛感した高校時代。
そして、一度は夢に届かなかった大学進学という現実。

それでも立ち止まらず、
誰に相談するでもなく、自分で道を決め、動いた日々がありました。

今の落ち着いた佇まいからは想像できないほどの
行動力とエネルギーに満ちたこの時期は、
森中先生の「芯」が形づくられていく、大切な章です。

新年のはじまりに、
一人の歩みとして、ぜひゆっくりお読みください🌸

第4章:高校時代から大学進学前まで

―― 高校生活はいかがでしたか?

「高校ではソフトボールは辞めて、引き続き書道部に入りました。先生に恵まれていたと思います。書道の顧問の先生がとても熱心な方でした。」

「大会で賞をもらうこともありましたが、自分としてはまだまだという思いが強かったですね。高校時代は、表現することの奥深さを感じ始めた頃でした。」

―― それで、大学では書道科を目指したけど惜しくも不合格だったとか。

「ええ、私は福岡教育大学に新しくできたばかりの書道科を受験しました。実は、全国で初めて“書道科”が設けられた大学で、ものすごくレベルが高かったんです。」

―― 難しかったのですね。

「ええ、難しかっただけでなくて、全くの準備不足でした。合格した人たちは皆、大学の書道の先生について猛勉強してきた人ばかり。私は甘く考えていたんだと思います。結果は当然のように不合格で、正直、恥ずかしい気持ちもありました。

―― 他に進路の選択肢は考えませんでしたか?

「最初はね、家の経済状況もあって“大学に行けないなら働かなきゃ”と思ったんです。それでX線技師の専門学校も受験しました。でも、そこも落ちちゃって……。」

―― そこから浪人を決めたんですね?

「ええ、やっぱり大学進学の夢を諦めきれなかった。でも浪人なんて反対されると思ったから、親に相談せず、自分で勝手に浪人することを決めて。」

―― えっ、それはどうやって?

「当時私が住んでいた八代には予備校がなく、家から離れた上熊本にある予備校の入学手続きを自分で済ませて、自宅からは通えないから上熊本での下宿も自分で手配。布団とか身の回りの荷物をまとめて、それを運ぶオート三輪も呼んで荷物を積み込んですべて準備してから、おもむろに母に“お母さん、私明日から予備校に行くけん、上熊本に引っ越すけん、さいなら”って(笑)。夜逃げみたいに引っ越したの。」

―― お母様の反応は?

「本当に驚いていました。“ええっ?とんこちゃん、あんたどこに行くとかね。あんた向こうに行ってからちゃんと連絡しなさいよ”と言ったところで、もうオート三輪ががたがた動き出して。母がオート三輪の端っこを掴んで、悲鳴に近いような声を出して別れました。あの姿は、今でも忘れられない。」」

―― 浪人に反対されたんですね?

「反対されたのかどうかもよく覚えていないけど、反対されるだろうと思って、反対される前に自分でさっさと既成事実を作って、逃げるように家を出たんだと思います。

―― 確信犯ですね笑。では浪人の費用などはどうしたのですか?予備校代も、生活費も自分で賄えるほどお金は持っていなかったのでは?

「具体的にはどうしていたのか思い出せないのだけど、お正月などにもらったお年玉とか、何かのお祝いでもらったお金は、一銭も使わずにずっと貯めていたの。私の家はお正月、親戚中を招待して新年会をしていたの。子どもはみんな宴会の下働きをさせられていたのだけど、子どもたちにとっては書き入れ時。親戚からお年玉を結構もらえたのよ。毎月のお小遣いも使わずに溜め込んで。全部タンス預金みたいにして。何年間もそうやって貯めてたのが、結構な額になってたと思います。それでも全ては賄えなかったと思うので多少は援助してもらったのかもしれません。

―― 予備校に通っていた時の生活はどんな様子でしたか?

「最初はね、熊本の大学に合格して大学生だった友達の家に転がり込んで、家賃を折半して一緒に暮らしてたの。でも、大学生と浪人生の生活スタイルがあまりにも違ってきて……それで、駅のすぐ裏にある大きなお屋敷の一部屋を借りて、下宿することにしたの。」

―― どんな部屋だったのですか?

「大広間みたいに広い部屋をベニヤ板で四つに仕切ってあって、その一区画に一人で暮らしてた。もちろんトイレもお風呂も共同。食事は自炊。自炊っていっても自分専用の台所があるわけじゃないから、2階の自分の部屋から出て、キシキシいうような階段を降りて下の台所へ行って、洗う物を洗って、切る物を切って、それをボールに入れて2階の畳の部屋に持ってきて、そこで小さなコンロで調理してたの。」

―― 苦労も多かったでしょうね。

「そうね。でも、予備校に同じ高校からの浪人仲間が二人いたの。その子たちは親戚の家に下宿しててね、親戚が作ってくれたお弁当を予備校に持ってくるのだけど、いつもおかずを分けてくれてたの。そのうち、その子達が親戚に“私、おかずが足りんけん、おばちゃんもっと入れて”って言って、お弁当にいっぱいおかずを詰めてもらって、私の分まで持ってきてくれてたの(笑)。」

―― それは心強かったですね。

「うん、本当にありがたかった。だから、浪人してもう一度挑戦することができました。」

―― それで最終的に?

「最終的には北九州大学の文学部に進学しました。書道科には入れなかったけれど、浪人してでも大学に行こうと決めたことで、自分の中に“覚悟”が生まれた気がします。」

次章では、大学での学びと、書道家としての第一歩についてお話を伺います。

🌸終わりに

高校卒業後、思い描いていた進路に一度は届かず、
それでも諦めきれずに選んだ“浪人”という道。

不安も、迷いも、決して少なくなかったはずですが、
自分で決め、自分で動いたその経験が、
後の人生を支える大きな土台となっていきます。

今回の章から伝わってくるのは、
「うまくいかなかった経験」そのものが、
人を強くし、次の一歩を生み出すということ。

今、目の前のことに悩んでいる子どもたちや、
それを見守る大人の方にも、
そっと重なる部分があればうれしく思います。

📘次回予告

書が“学び”から“生き方”へと変わっていく時間をお届けします。
どうぞお楽しみに🌸