今回の「さくら通信」では、
大学時代の終盤にあたるお話をお届けします。

さまざまな経験を重ねた学生生活の中で、
思い通りにいかなかったことや、
後になって強く心に残る出来事もありました。

そのときの想いや選択が、
どのようにその後の人生へとつながっていったのか――
先生ご自身の言葉で語っていただきます🌸

第7章 大学での後悔

――森中先生が大学4年生だった1969年は、全国的に大学の学生運動が大きな山場を迎えた時期でした。

象徴的な出来事として、東京大学の安田講堂事件※1があります。大学が閉鎖されたり、授業が妨害されたりと、混乱が大きかった時代ですね。

森中先生:そうですね。大学の演劇部も大学闘争の流れに合流していきました。

演劇部を辞めて上京し、大学闘争に参加する人も多かったんです。

運動が過激化するにつれて、どこかで「これは少し違うのではないか」と感じるところがありました。

そこで私は、そうした渦からは少し距離を取るようになりました。

それぞれに“正しさ”がある時代でしたが、自分の生活と学びを優先することを選びました。

私の大学でも、学生が学長を吊し上げるような事件まで起こって、安心して授業を受けられる雰囲気ではありませんでした。

その影響で単位を取り損ねる学生もいて、中退者、留年者も多くいました。

――森中先生は4年で卒業できましたか。

森中先生:なんとか卒業はできました。でも、教職免許を取ることができなかったのです。

大学側の混乱と、ちょうどその頃、病気を患った父を見舞いに熊本に頻繁に帰省していたこともあって、いくつかの単位を落としてしまったのです。でも、半分は自分のズボラのせいでもあるんです。

国語の教職免許も取らず、卒業単位だけで卒業した。そんな情けない学生でした。

――大学で教員免許を取ろうと思っていたのに取れなかったのですね。

森中先生:そうです。なにか資格を取って自分で生きていけるようになろうと思って大学に入ったので、親にも本当に申し訳なかったと思いました。

親は「勉強する環境がなくて諦めた」世代なのに、優秀でもない私を無理して大学へ行かせてくれた。

それなのに、大学で教職を取ることができなかった。

だから、「いつか返さないと」「いつか勉強して取り戻さないと」――そんな負い目をずっと背負いました。大学で教職を取れなかったことで、後々とても苦労することになりました。

そしてその悔しさは、私の中でずっと消えずに残り、のちに「もう一度学び直したい」と思う原動力になっていきました。

※1 東京大学安田講堂事件:1969年1月、東京大学本郷キャンパスの安田講堂に立てこもった学生らを機動隊が排除した事件。学園紛争の象徴として広く報道された。

終わりに

「後悔」で終わらず、ちゃんと“次への力”に着地させる。

大学時代に感じた後悔や葛藤は、
決してそのまま過ぎていったものではなく、
その後の人生に深く影響を与えていきました。

思い通りにいかなかった経験があるからこそ、
「もう一度学びたい」「やり直したい」という強い気持ちが生まれ、
やがて新たな一歩へとつながっていきます。

【次回予告】
再び学びの道へ――
先生がどのようにしてもう一度学び直し、
書の道へと歩みを進めていったのかをお届けします。

どうぞお楽しみに🌸