
こんにちは。さくら書道教室です☺️
前回、赤ちゃんをおんぶして江舟先生の教室に通っていた森中先生。
今回のVOL.10では、ついに「10年越し」の夢が叶う瞬間をお届けします。
30代、3人のお子さんを抱えての「女子大生」生活。
校内放送で呼び出されることもあったという毎日の中で、先生が出会ったのは、これまでの価値観をガラリと変える光景でした。
大学卒業から10年。ようやく手にした免許状には、どんな重みがあったのか。
第11章 10年越しの春、女子大で見つけた「自立」
̶̶ 下関市立大学での挫折を経て、田中江舟先生のアドバイスで梅光女学院大学(現・梅光学院大学)に編入、書道過程専攻単科履修生となりました。
30 代、お子さん 3 人を抱えての「女子大生」生活。周囲は 18 歳や 20 歳の学生ばかりですね。
森中先生: そうなんです。周りはみんなピチピチした若いお嬢さんばかり。
でもね、自分では不思議と浮いている感じはしなかったわ。
むしろ、10 歳以上も年下の彼女たちと一緒に机を並べて学ぶのが、楽しくて、刺激的で。
私にとっては、勉強に関しては未消化だった学生時代をもう一度過ごさせてもらっているような、貴重な時間でした。
̶̶ それでも、やはり「母親」としての顔も持ちながらの通学です。大学の校内放送で、森中先生のお名前が流れたこともあったとか?
森中先生: そういうこともありました(笑) 授業の合間に、「森中さん、お子さんが学校で熱を出されたそうです。すぐにお帰りください」って全館放送が流れるの。
先生方も学生たちも「ああ、また森中さんとこのお子さんね」ってクスクス笑いながら送り出してくれて。
̶̶ 当時の女子大という環境は、森中先生の目にどう映りましたか?
森中先生: 私はずっと共学で学んでいたため、女子大には馴染みがなかったのだけど、女子大という場所は私の人生観をガラリと変えてくれました。
それまでは、どこかで「男の人が力仕事をやり、女の人はそのサポートをするものだ」という固定観念があった。
でも、女子大は違うのです。
̶̶ 具体的に、どのような光景に驚かれたのですか?
森中先生: 書道の展覧会を開催したときです。
女子大生たちが、業者の交渉から会場設営まで一手に引き受けてやっていました。
腰に大きな道具バッグを巻きつけて、金槌や釘を持って、重たい荷物運びから会場作りまで全部自分たちでやるの。
誰かに頼るんじゃない、自分たちの力で形にする。
女子大だからこそ女性が自立することができる。
その志の高さに、胸が熱くなった。
̶̶ その環境の中で、ついに「書道」と「国語」の免許を同時に取得されました。
大学卒業から、実に 10 年が経っていましたね。
森中先生: そう、10 年。⻑かった。
でも、あの時、手にした免許状の重みは、22 歳の頃にすんなり取っていたら感じられなかったはず。
田中江舟先生も、私の執念を認めてくださって、その後あれこれと目をかけてくださった。
̶̶ 10 年という歳月は、無駄ではなかった。
森中先生: 無駄どころか、あの 10 年があったから、私は「教育」というものの本当の尊さを知りました。
自分が苦労して、遠回りして掴み取ったものだからこそ、今度はそれを子供たちに手渡したい。
その情熱があったから、その後の「戦場の中学校」でも、私は一歩も引かずに立っていられたんだと思います。
🌸終わりに
22歳ですんなり取っていたら、きっと感じられなかった免許状の重み。
10年という遠回りがあったからこそ、森中先生は「教育」の本当の尊さを知りました。
苦労して掴み取ったものだから、今度は子どもたちに手渡したい。
その想いは、今のさくら書道教室で先生が一人ひとりの生徒さんと向き合う姿にも、そのままつながっているように感じます。
📘次回予告
ようやく立った教壇。しかしそこは、想像を超える「戦場」でした。
森中先生の新任教師時代、最も過酷だった日々をお届けします。
どうぞお楽しみに🌸