こんにちは。さくら書道教室です☺️
十年越しに教員免許を手にした森中先生。
小学校の臨時教員などを経て、ようやく立った教壇は、当時とても荒れていた、ある中学校でした。
数十年前、先生が新任だった頃のお話です。

家では3人のお子さんを育てる母。
学校では、スリッパではなくスニーカーで駆け回る先生。
そんな日々の中で、先生は何を支えに立っていたのでしょうか。
ぜひ、ゆっくりと読んでみてください🌸

第 12 章:戦場の教室、握りしめたチョーク

̶̶  10 年越しの免許を手に、ようやく辿り着いた教壇。ですが、小学校の臨時教員な
どを経て、赴任された「ある中学校」は、「戦場のような中学校」。当時、とても荒れた学校でした。

森中先生: 「荒れていた」なんて言葉じゃ生ぬるい。
あそこは、毎日が「戦場」のような場所でした。
廊下を歩けば上から水バケツが降ってくる。給食はゴミ箱にぶちまけられる。
そんな場所に、経験の浅い、しかも女性教師が配属されました。

̶̶  恐怖で足がすくんでしまいそうな環境です。森中先生は、どう立ち向かったので
すか?
森中先生: 恐怖?そんなもの、顔に出した瞬間に生徒に舐められてしまう。
私は、学校では絶対にスリッパは履かなかった。
いつだってすぐに駆け出せる「スニーカー」を履いていた。
生徒をいつでも追いかけられるように、あるいは自分がいつでも逃げるように準備していた。
常に戦闘態勢だったの。

̶̶  まるで警察官のような緊張感ですね。実際の授業はどうだったのでしょう。
森中先生: 授業なんて成り立たないのです。
私が黒板に向かって書いていると、背中に「ベチャッ」と冷たい感触がある。
振り返ると、私の白い服に真っ黒な墨がついているの。生徒が、書道の筆を投げつけてきたのね。

̶̶  筆を……。それは、あまりにもひどい。
森中先生: 「誰がやったの!」って怒鳴っても、誰も答えない。
ニヤニヤしてこっちを眺めているだけ。
でも、私はそこで泣いたり怯えたりはしなかった。
「やられてたまるか」って、逆に腹が据わった。
男言葉を使い、のっしのっしと歩いて、「あなたたち、いい加減にしなさい!」って喉が潰れるまで怒鳴り散らしてね。

̶̶  お家では 3 人の子の優しいお母さんなのに、学校では「戦士」にならざるを得な
かった。
森中先生: そう。でもね、その「強さ」が私を救ったの。
周りの大人しい先生たちの中には、生徒に「私を叩きなさい!」って体当たりでぶつかろうとして、本当に殴られてボロボロになって辞めていった人もいた。
でも、私は絶対に隙を見せなかった。

̶̶  その「隙のなさ」は、あの苦労した 10 年間から生まれたものだったのでしょう
か。
森中先生: そうですね。
「たかが子供の嫌がらせに、私の 10 年を台無しにされたくない」と強く思いました。
おんぶ紐で子供を背負って、ヤクルトを運んで、何度も挑戦してようやく掴んだ教師の職なのです。
その苦労に比べると不良中学生の対応くらいお安い御用、くらいの気持ちでした。

̶̶  荒廃した現場で一歩も引かなかった森中先生は、その中学校の校長先生の推薦
で、私立高校の専任教師へとキャリアが繋がっていく。10 年の遅れは、決して
「空白」ではなかったのですね。
森中先生: ええ。あの壮絶な中学校での日々があったから、その後の私立高校への道
が開けたのです。
人生、何が幸いするか分からないものですね。
遠回りをしたからこそ、私は誰よりも「教壇に立つ重み」を知ることができた。
あの時、中学校で逃げ出さずに頑張って、本当に良かったと思っています。


🌸終わりに
「たかが子どもの嫌がらせに、私の10年を台無しにされたくない」
おんぶ紐、ヤクルトの配達、何度もの挑戦。
先生が一歩も引かなかった背景には、10年かけて掴んだ教壇への想いがありました。
遠回りをしたからこそ知った、「教壇に立つ重み」。
今、教室で子どもたちと向き合う先生の芯の強さにも、こうした日々が息づいているのかもしれません。

📘次回予告
教壇に立ち続けた先生の、その後の歩みをお届けします。
どうぞお楽しみに🌸